ジブリ作品「レッドタートル」 ー ふたこわたる公式ブログ「人々よ、自分の祖国を取り戻せ!」
スタジオジブリから映画の前売り券のギフトが届くって、それだけでなんかスペシャルじゃないですか。ちょっと自慢(笑)。テンションあがる。ありがとうございました!
で、その映画を見に行ってまいりました。スタジオジブリ最新作「レッドタートル」。カンヌでも賞をもらってる作品。
これね、なんだろう、「映画見た〜〜」っていう感じになりました。その感想を語り合ってわかったのは、この、観賞後の余韻、なんですよね。
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この映画、約80分の全編言葉のセリフはありません。(叫び声とか、言語でない声はあります。)
ジブリの作品だけれど、監督はフランス人で、制作のほとんども日本じゃないところで行われてる。
感想というかレビューというか、どう書いたものかなと思う。 理解できたところ、普通に理解できるところ、だけを言葉で語ったらまったくつまらないことしか言えない。
ある一人の男性が嵐の中、無人島に漂着するところから話が始まります。
そして不思議な力によって、その島からの脱出を徹底的に阻止されるうち、とても神話的なあるいは民話的な形でもう一人、女性が現れ、やがて子供が生まれ・・・という展開。
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いろんな部分をいろんな見方ができる映画だと思うんだけれど、僕が印象的だったことの一つは、人は一緒に世界の夢を作っている、ということが現れていたこと。
夜見る夢の中のようなシーンがけっこう出てくるのね。
で、それが夢だったかどうかというのは、僕らはその後、誰かと語り合うことができるからわかることなんだと思いました。
無人島にたった一人でいて、「昨日の夜中に、目が覚めて見たあの光景は、ほんとうのことだったのだろうか。それとも単なる夢だったのだろうか。」という問いを持ったら、僕らはその答えを一人では出せないんだ、と思いました。
夜中に目が覚めて、そしたら目の前に見たことのない不思議な生き物がいて、しばらく一緒に過ごした。なんてことが仮にあったとするじゃないですか。それが本当にあったことなのか、夢だったのか。
そう思うとですね、昨日の昼間に体験した、と思っていることは、ほんとうにあったことなんだろうか。それだって十分あやしい。5年前にあったと思ってるあの出来事や、子供のときにあったと思ってるあの出来事はどうだろう・・・。
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そこに一緒に生きる人がいて、そうだったよね、と確認できたときに、それを「ほんとうにあったこと」ということにする、っていうふうに人はやってるんだなあって。
そんな風にお互いを拠り所にして僕らは、この世界の成り立ちや「ほんとうにあったこと」について、どうにか安定した見方を創り上げている。
特に波の頂上で水面から顔を出して手を振るシーンでそう思ったんだけれど、今思うと、一番最後のシーンもそうだな。
最後のシーン、主人公はもういないはずで、だからほんとうにあったことなのかどうか、どうなんだろう。
そういうリアリティの根幹を揺さぶられる感覚のある映画。
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そしてそのことと表と裏なのだと思うのですが、なにが「ほんとうにあったこと」だったかはともかくとして、別の次元に「たしかにあったこと」もまたある。
それは、うーん、なんていったらいいんだろう。強いて言うなら「気持ち」。
驚き、心配、うれしい、恐怖、さびしさ、絶望、呆然、ほっとした、愛おしい、などなどの感情体験は、できごとが「ほんとうにあったこと」だったかどうかとは関係なく、「たしかにあったこと」。
そしてそれは、身近に生きる人がいるときにこそ、ものすごく豊かになる。豊かであり続ける。
そう思うとですね、僕らはその、感情体験を豊かに味わうためにここにいて、そのために人と一緒に生きている、なんていうことをふと思い出したような感覚になりました。
ほんとうにあったことなのかどうか、それは自分一人のこととしてはどうでもよくて、でも誰かと一緒にそのゆたかな感情体験を味わおうと思ったときには、ことばを使って共同の幻想/共同の現実のなかに遊ぶ自由も与えられている。
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という感じでスタジオジブリとアニメーションの新しい地平を堪能してきましたとさ。
音楽もとても美しくて、サントラ買っちゃおうかとか思いました。
(一つだけ不満をいうとすると、アウトドアの観点からいって、裸足で竹やぶをあんな風に走れない、とか、雨が降った時の砂浜の足跡のつき方、みたいなサバイバル的なところは、ちょっとだけマニアックな不満を感じました 笑)
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