あなたがしたい「結婚」とは?
僕は性格的に、機能しない不正確な観念が広まるのを指をくわえて見ていられないところがあります。
で、結婚したい女子向けの結婚するための秘訣 みたいな記事が最近Facebookでシェアされていたんです。それがまさにそういうものでした。昨日のランチは彼女と一緒にこの記事についてちょっと盛り上がりました。
その記事の「結婚観」は、結婚に絶望し、ほんとうの結婚を忘れ去っている現代の多くの人の声そのものだったんですよね。その人自身がどう思ってるかは知らないけど、書かれていた結婚観のことね。
その結婚観を除けば、僕はむしろ賛同するところもかなりある記事だったんだけれど、目指しているところの結婚がそれじゃあ、鵜呑みにした人は根本的に道を踏み外すかもなあと思っちゃったの。
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その結婚感というのは、
「結婚と恋愛は違う。」
「結婚は生活だから」
「愛するとか愛されるとか、幻想です。」
みたいなもの。そうそう。現代の自立時代にはいってよく聞く常套句です。
「そんなもの諦めて、さっさと行動しなさい」って。
「結婚したら幸せになれる」っていうのと同じくらい、破壊的な影響を及ぼしているやつ。
「愛するっていうのは自分で自分に対してすることが全てで、誰かから愛されるんじゃない」っていうのが精神的な自立の進んだ現代の病的観念の一つだと今の僕は思ってる。
もちろん自分を愛すること、自分の幸せに自分で責任を持つこと、自分の傷を自分で癒すこと、つまり精神的に自立していることはものすごく重要で、それは否定の余地がない。
誰かが自分を幸せにしてくれるわけじゃないし、それを待ってていいことなんてほとんどない。
ただ精神的な自立が進んで自分で自分を幸せにできるようになった人は、今の結婚制度のような1対1のパートナーシップへの意味を見失っていく。それが今、僕らの社会で進行していること。一人で幸せならそれでいいじゃないの、なんで一人とだけ愛し合うのか、と。それはそれで一理あるし、長らく僕もそう思っていました。
でもね、この数年、いのちかけて取り組んで来て僕が思うのは。
僕らの文化・文明は、長い間、精神的に自立しながら、愛し愛される方法を見失って来た。
僕らの文化・文明は、長い間、精神的に自立しながら、深く繋がりあう方法を見失って来た。
ということ。
今ほど精神的に自立していない時代は、もっと強制的に二人が離れられないような時代が続いていたし、それはそれで当時は意味があった。
でも今は違う。
僕らは、男女問わず一人で生きていけるような時と場所に生まれている。
そして、これまでの結婚や結婚観を眺めて、あるいは経験してみて、あれが結婚なら別にいらないよと思ってしまう人もたくさんいる。
一方、自立している同士がどうやって愛を深められるのかは、見る機会がないし、それがどんなものか知る機会もない。
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でもね、僕らの魂の記憶は知ってるわけです。知ってるでしょ。
結婚というものの、元型的な意味を。
愛によってとこしえに男女が一つに結ばれるというイメージを。
そして僕らの魂は、それを求めてる。そこに真実の姿があるって知ってるんだもん。
結婚が、今の法律上の結婚を指していて、その実態を知っていたら、そんなの人がしたがるようなものでもないし、めでたくもないじゃないですか。実際1/3くらいが、これはちがったってわけで離婚する。
とはいえ、「おめでとう!愛を深め続ける予定もない人と、家族になったんですね!」とか思わないわけ。「愛するとか愛されるとかは諦めましたが、同居して共同生活できる人ができたんです!」とかで喜ばないでしょ。
なんだかわからないけれど、「結婚」しようとするし、なんだかわからないけれど、「結婚おめでとう!」っていう。
それは魂がそのイメージ、愛によってとこしえに男女が一つに結ばれるというイメージを知っているからじゃないかと思う。
でも意識はよく知らない。自分が「結婚」を通して何を得たいのか。
だから「結婚」したい人は、ほんとうは何をしたいのかを自分の魂に問うことが不可欠なんだと思います。
わたしが魂から望む「結婚」ってどういうことなんだろう、と。
それなしに結婚したって道に迷うだけ。
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真剣に自分の魂に問いかけて、
それが「愛し、愛される関係」であれば、それをこそ全力で求めたらいいと思うよ。
それが「ずっと愛を深めていこうという約束」なら、それをこそ全力で求めたらいいと思う。
何度心折れても、何度も立ち上がり直して、それを求めたらいい。それが不可能だと言われたり、嘲笑されたり、みたこともないものだったとしても。
(もちろん「愛はなくていいけど便利な共同生活」とか、ほかにもなんでも魂から望んでいたら、それを求めたらいい。人がとやかくいうことじゃない。)
先日仙台でやったワークショップでも、参加された方全員、自分の中にある、真の愛への願いを自分で救い出していたし、それは本当に感動的な場面だった。
その願いをないことにして生きるなんて、死んでいるのも同じだと思うの。
ま、僕も長らく死んでるも同じだったし、運よくそこから抜け出せたわけなので、偉そうなことは言えないけれどね。
でももしあなたがそれを望むなら、僕はその願いをこそ応援したいって思うわけです。
その道をこそ、進もうよ。
週末は仙台で連続のイベントでした。
ワークショップ「わたしの中の、真の愛への願いを救い出す」のときのもの。
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