「親の愛を得るため」に良い子にしたりはしなかった - ふたこわたる公式ブログ「人々よ自分の祖国を取り戻せ!」
(注意:この「自己探求」のカテゴリーの記事は、なんというか僕の個人的で未消化なものも扱うので、生々しかったり昇華されていない攻撃性が出てたりすることがあります。)
この1年くらいかなり難しい領域を深掘りしてきて、なんというか自分の重症っぷりに驚くことがよくあります。
でもこういう話、すごく面白いんだよね。
って思って書いちゃうわたくし。
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よく子供の頃に、「良い子として振舞わないと親の愛を得られない」と思って自分を抑えることを覚えたっていうストーリーがあるじゃないですか。
そういう話を聞いていたときに、僕の中で「僕はそういう体験はなかったぞ。それってつまり、その人は良い子にしてたら愛を得られていたっていうことだよな。」ってふと思ったのでした。
史実がどうであったかはちょっと置いておいて、今の僕の意識と記憶の中では、小さい頃からまわりの人たちをケアしなくてはとか、地球の危機をどうにかしなくては、と思っていたんですよね。
で、僕はそうやって親の愛を得ていた、、、のかと思いきやそうじゃないことに気づいたのでした。「得ていない。」
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僕はそんなことしようとしまいと、親から得たい愛を得られているとは感じていなかったし、得られないと確信していたらしい。
じゃあなんのためにやっていたのかというと、生きる意味を必死にどうにか見出そうとしていたということなんだ。そういうサバイバルだったんだ、と腑に落ちたのね。
たましいのどこかが知っているけれど無意識な、愛おしい人や愛おしい世界。
それを無意識に愛したり守ったりしようとしていた。
そうでもしない限り、生きる意味がみいだせなかった。
そうでもしない限り、この人生が生きるに値するものだと思える可能性がなかった。
そうでもしない限り、この世界が意味あるものだとは思えなかった。
だから多分客観的に見たら、なんかいい子であっただろうし、それは上記のような態度で生きていたからだと思う。
親の愛を得るためにいい子にしていたことはないし、それをいい子ぶってる的に言われると、ますます深く孤独になっていました。
なかなか深い深いトラウマ。
これってなかなか重症ですよ。自分で言うのもなんだけれど。
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ちなみに10代の終わりで一旦、この「生きる意味がない」に正面から直面して、7, 8年にわたってかなりの精神的な危機(魂の闇夜と呼んでる)を体験しました。
その時はだいぶ時間はかかったものの、人に愛されることは手放して、でも宇宙や地球に愛されていることにはガシっとつながりました。それ以来僕の中には、宇宙というか神さまというか、そういう何かに対する完璧な信頼があって、どんな時もそれは揺らぐことはない。
そしてそこからまた20年経って、ようやく僕は人にもただ愛されるということを体験しつつある。その回路はまだひ弱で、しっかり開通している時もあれば、忘れちゃってる時もある。
今年になって胎児期・乳児期のトラウマを癒しているうちに、この辺の感じがやっと解凍されて浮上してきたのでした。
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こういう展開を僕のたましいは望んでセットアップしてきた感覚もある。そのために学べたこととかはものすごくある。そうなんだけれど、それにしてもなかなか重症で過酷ですよ。客観的に見たら。
ちなみにうちの親は客観的にみてとても普通に愛情深くて、なんら虐待的なところはなかった。だから、僕もどうなってるのかよくわからなかったんだけれど、乳児期・胎児期の影響ってこういう出方をすることがあるんだよねえ。
これじゃあ世の中によくあるところの、言語化できる母子関係のストーリーを癒す、とかじゃ歯が立たないのも無理もない。
ここまでよく生きてきた。
えらい、俺。
ここだいぶ道が見えてきた。もうちょっとだ。
(写真は朝、電線の水滴がどういうわけかいろんな色に光っていたのをどうにか撮ったもの)
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今後の予定
■パートナーシップに取り組むなら、必須の第一歩
「好かれる勇気 〜大好きな人に好かれて生きる」
12月18日 名古屋
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12月24日 東京
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■1月12日 東京
新年会とシェア会
アマゾン&アンデス先住民を訪ねる旅 (予定)
■お金の本質を学び、人生の夢を変え、世界を変える。
その第一歩。(仮)
12月19日東京
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1月20日東京 (予定)
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