親から真実の言葉を聞けなかった子ども
先日福岡まで行って、ワークに参加していました。
そのワークの中で、親とか自分に影響あった人物にされて嫌だったことを思い出し、イメージの中でそれを伝え、そして、本当はどうしてほしかったのかもイメージの中で聞いてもらうっていうパートがあります。
僕は、親にされて嫌だったことは、ワークの時にはけっこう表面的なものしか思いつかなかったのと、イメージの中の親が普段通りなんかごまかしたようなことしか言わなかったのとで深まらず、帰ってきてから復習ワークを(?)毎日やっていました。
パートナーにも話を聞いてもらったりしつつ取り組んでいたら、ああ、とわかったことがありました。
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本当はどうしてほしかったのかというと、
僕は、真実の言葉を聞きたかった。
僕は、母がその存在の中心からほんとうのことを語っているのを、ほとんど聞いたことがありません。もしかしたら一回も聞いたことはないかもしれない。僕の親世代の人々は、本当の思いをことばにするのは野暮だと思っているような文化があったり、個人的な照れや防衛もあったりするのだとおもいます。
でもとにかく僕は「真実の言葉を聞きたかった」し、聞けなかった。
今の僕は、仕事でも日々たくさんの真実の言葉に出会っているし、パートナーとの間でも互いの真実の言葉を交わし合うということをずっとやっていて、それがどれほど素晴らしいものかをよく知っています。どれほどパワフルに、自分と相手の命を輝かせるか、どれほどその命を土台から救うか。
同時にそれがないことが、どれほど破壊的であるかということも、今ではよくわかっています。
僕とパートナーとの関係は、互いの真実をことばで明かし合い続けることによって、ずっと愛を深められている。真実を告げず、真実を尋ねず、想像してわかった気になることこそが、愛ある関係性を蝕んでしまう。
それは親子や家族であってもそう。
福岡のイメージワークの時にも、母が真実から真摯に受け答えするところを、とても想像できなかったというわけなのです。
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僕は小さい頃から一度も母の真実の言葉を聞くチャンスがなかったことで、そこにある真実や、そこにある愛を、はっきりと意識で捕まえる力が育ちませんでした。ずっとどこに真実があるのか、愛があるのか、よくわからないまま生きてきました。今から思えば。
そして真実の言葉を自力でみつけるために、大人になって約8年魂の闇夜をさまよう必要がありました。
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真実の言葉を聞けなかったことが、とても辛かった。ほんとうは真実の言葉を聞きたかった。
自宅でイメージの中でまっすぐに母にそのことを告げた時、イメージの中の母はやはり何も言わず、でも初めて「ことばにならない」という真実の表情を見せてくれました。
そして、母が一度も真実を語る勇気を持てなくなってしまうほどに、深く傷つき、恐れを抱いていることが見えました。
何があってそうなったのかはわかりませんが、ほんとうのことなんて、とても言えない。
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数年前、父が亡くなる直前に、僕は母に「父さんが意識があるうちに、言葉でしっかり伝えた方がいいんじゃない?父さんと生きてきてどれほど幸せだったか。どれほど愛していたか。」と言ったことがあります。
その時にも母は泣きながら、「とても言えない。」と言っていました。
そんなにも大切な真実を一切言葉で語れないというのは、どれほど深く傷ついているのかと、はじめてそれがはっきり見えた瞬間でした。
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それほどだったのならしょうがない。
それはもう、許しますとかいうまでもなく、しょうがないなと深く受け入れられました。
そして僕自身に「おまえはどうなんだ?」って問いが向きました。
僕は、母に、どれほど真実から関わっているといえるのか。
いや〜、全然だ。
残念ながら母の前では、僕はまだまだ防衛的になったり、表面的な会話をしたりすることがほとんどです。それを長年、母のせいにしてきてしまいました。
母に、真実の言葉を交わすことの恐ろしさを克服するように手伝い、その素晴らしさを伝えることができるのは、僕しかいない。僕が真実から関わることによって。
え〜、いやだなあ。
東京に戻ったら、いやいやながら(笑)、母に真実から関われるよう努めてみようと思います。
いや〜、険し楽しい修行だなあ。
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