ふたこ放牧タイムの話1
僕はもともと、リラックスできるのは一人きりの時だけ、という人間です。
今日は その辺りでパートナーといろいろと難しくなっていたことについて。
そういう性格の傾向というのもあると思うんだけれど、乳児期・胎児期の影響を学ぶにつれて、かならずしも生まれ持った性質だけでもないのだな、と最近思います。
一方パートナーは、好きな人とは(僕から見ると)ひたすら濃く関わっていたいタイプ。しかも僕と比べると喜怒哀楽を感じる幅も大きくて、表情筋の活動量で見たら僕の100倍くらいある。
さて、乳児期・胎児期の影響かも、といったのはこういうこと。直接検証できるものでもないので、まあ、仮説の上に架設重ねるような話なんですけどね。
セラピーで見えてきた情報や、実際の今の心理構造などから推測するに、おそらく胎児期から母親の心理的なケアをしてきた。母は、自分の感情に自分で責任を持つという種類の成熟さはあまりもっていない人なのです(自分の生活を自分でするということについては、尊敬するくらいちゃんとやってるけど)。
母親の感情が不安定になるというのは、胎児としては自分の生存に関わる危機と感じられる。なのでそうした場合に、胎児は母親の感情を引き受けたりして安定・安心させようとする、という説があります。
で、僕の理解ではなにしろ胎児なので、自分がケアしている対象が母親という個人であるとは認識していない。むしろ世界の全てくらいのものです。
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なので、身近に「感情の乱れ」を察知したら、アラートサインがけたたましく鳴って、自分がケアしなきゃというスイッチが入る。
そういうメカニズムが、僕のとても深い部分に作られてしまっているようなのです。
こういうメカニズムを持っちゃってる人は少なくない一方で、全然平気な人もいる(パートナーは多分そう)。
いつ鳴るかは厳密には予測できないから、誰かといるときには常にそのアラートに備えているような緊張感がある。
なので、人がいたらリラックスできない。
一人きりで引きこもってる時だけが、唯一心底リラックスできる環境、、、だった。長らく。
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ところが近年になって、僕の周りに実に成熟した友人がたくさん現れるようになって、僕はそういう友達に囲まれている時もリラックスしていられるようになってきた。
なので、僕はそういう友達と会う時間はすごーく好きなのです。
名古屋の大好きなスペース「カフェコスモス」は、まさにそれぞれ他人のケアをせずにいていい場所で、ここちよく繋がりながら放っておいてもらえる場所だったりします。
僕は身近な人といるときには、例のメカニズムのため、アラートに備える緊張感を常時ONにしちゃっていて、それはパートナーも例外ではない。しかも、友人との間では得られるリラックスした感覚を、パートナーとか家族がいる場所では決して得られない、と僕は無自覚に深く諦めてきていたようなのでした。
そしてそのことは、パートナーに寂しさを感じさせたり、ときに不安にさせたりしてきました。
このあたりのことを、カップルセッションとか受けながら明らかにしてきて、今パートナーに協力してもらっているのが、僕の「放牧タイム」をつくること。
一緒にいるけれど、彼女には注意を向けなくていい。
一緒にいるけれど、放っておいてもらえる。
そういう時間。
あくまで「一緒にいて」、というのがミソ。
一人でリラックスするだけならこれまでと何も変わらない。
そして最も身近な人とそんなふうにリラックスして過ごせることを、僕の深い部分が学習できたら、世界はまた一つとても素敵な場所になるだろうなあって期待して取り組んでいるところです。
その2へ続く。
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