Keiko Matsumoto

物心ついた頃から、「理想の結婚」を叶えることを夢見てきて、イメージした通りに26歳で理想通りの相手と結婚。

ところが数年後、何かが足りないと感じるようになり、コーチングやスピリチュアルな学びなどを通し自己成長の旅を始めます。

その中で、夫からはとても愛され生活面ではうまく行っていたにもかかわらず、真実を分かち合い、愛を深め合うことがこれ以上できないことを悟り、大きな痛みを伴いながらの離婚を経験。

現在は新しいパートナーと、自分の真実を分かち合いながら、愛を深め合うパートナーシップを築くために日々取り

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園の創造

11月11日は誕生日でした。誕生日の前の晩は、アナスタシア式に星空を見ながら外で寝ました。屋外で寝袋だけで寝るのはいくらでも体験してきたことですが、その晩は新しい体験でした。僕の最新の近況としては、詳細はまだ内緒ですが、そしてこれはエイプリルフールネタとかじゃなくて、通称「第一祖国」と呼んでいる土地の建設を始めました。写真はそこの木のお手入れをしているところ。まだ1ヘクタールの土地達からなる祖国コミュニティはすぐにできないんだけれど、アナスタシアの7巻を読んで、園の創造をせずにはいられなくなってしまった。***一族の土地・祖国のコミュニティをロシアに訪れたのも含めてここまで取り組んできて、一族とか家族ってなんなのだろうというのをこの数ヶ月あらためて考えているんですよね。そして考えるほどに、僕の感覚でほんとうの家族と言えるものは今の社会にはないんだ、という痛みを感じます。それはかつて僕が、大地と切り離されて生きてきたことに気づいたときの衝撃にも似ています。インディアンの生活術を学び初めて、大地の草や木やすべてが、元々こんなに豊かに与えられているということ、その豊かさに気づくこともなく、もちろん感謝すらせずに生きてきてしまったことを心の底から感じたことがあって、その時自分が(そして文明社会の人々が)どれほど本来の在り方から外れてしまっているのかを思い知ったの。自分がどれほど不完全な存在になり果てているかを思い知り、野草のサラダを食べながら泣きました。 *** 話を戻して家族のことを考えると、理想的には(そして典型的には)、一組の男女が愛と真実に基づくユニットを創造しよう、と純粋に意図することからはじまるものなんだと今の僕は思うのでした。その時に愛と真実と意図の純粋性が少ししかなかったら、そのあとも当然少ししか無い。そんなことを無自覚に感じ取っていた僕は若い頃は結婚する気もなかったし、子どもを持つ気もなかった。でも今はそういう家族なら持ちたいとこころから思うのでした。地球とも愛と真実に基づくつながりを創っているような、そういう家族。このトピックにはたくさん愛があるし、だからたくさん痛みがある。今の自分ならばっちりできるってわけでもないけれど、どこを目指して選び続けたらいいかは知ってる。そんなこんなで、ますますこの道を行くのだ、と確認する誕生日でした。今後ともどうぞよろしくお願いします。

一族の土地・祖国は、他のエコヴィレッジとどうちがうのか

ロシアの祖国コミュニティでとても知りたかったことの一つは、「一族の土地・祖国は、他のエコヴィレッジとどうちがうのか」というところでした。言い換えるとアナスタシアの方式の際だった特徴って、どういうものなのかということ。今回現地で聞いたことと、その後日本でシェア会をやって語り合ってきたこととで、いくつかはっきりわかってきました。 ***まずドミトリさん達がいっていたのは、大きく分けると二つ。一つは直接的には「一族の木を植える」ということ。アナスタシアは祖国で赤ちゃんを迎えることについて語る場面で、かならず一族の木を植える必要がある、といっています。この一族の木は、数百年にわたって先祖から子孫まで見守る木。この大きな木は、おじいちゃんのおじいちゃんが植えたものなんだよ、と語り継がれるような。僕の中では勝手に、クスノキの大木みたいな鳥たちがたくさん集まる大きな木のイメージになってるんですが、北海道だとどうだろうな。まあとにかく、一族の木を植え、先祖からのエネルギー的なつながりと守護がある土地になる、ということが一つ際だった特徴。 ***そしてもう一つは、人が創造主となって愛の空間を創るということ。アナスタシアは、人間の役割の重要なものとして、他の生き物たちに使命を与えることを挙げています。その部分を初めて読んだときには、僕はちょっと抵抗がありました。人がそんなこと決めちゃっていいの?って。でもよくよく読み込んでいくと、人がそれぞれの生き物の特性を深く理解することで、放っておいて「自然に」できるものよりも、もっと美しく調和のとれた土地が創造されるということがわかってきました。そこに生きるそれぞれの命が、もっと輝くような楽園を人間は創造できる。それは生態系の一部として慎ましく生きるよりも、もっと積極的で創造的な在り方。祖国を夫婦が共同で創造していくにあたって、すべての命がある意味自然を超えて生かされるように設計する。僕自身が植物とコミュニケーションをとるようになって、たしかにそれは可能だなと思うようになりました。実際僕がどこまでできるかはおいておいても。 ***そしてね、この前東京でシェア会をやったあとにこういう話を仲間の後藤 志果ちゃんと話していて、彼女が言いだして僕もたいへん共感したことがありました。それは、この上の二つをほんとうの夫婦、ほんとうの家族で創ることがやっぱり重要なんだということなの。たとえば家族みたいな仲間・拡大家族とかじゃだめなのか、というのは僕の中でも前から保留になっていた疑問でした。でもそこがクリアになった。 一族の土地として創造すると、おじいちゃんがあなたのことを思って植えた森がここにあるのよ、って感じで、のちの世代への贈り物としての愛の次元空間がそこにある。生まれたときから、その楽園に守られてる状態、それがデフォルトの子ども達が生まれてくる。その生態系が、生まれたときから赤ちゃんのことを知って守っている(祖国では、人間の情報をそこの植物に伝えていくから)。だから当然のように次の世代に受け継がれるんですよね。 ***僕が知る限り、これまでのほとんどのエコヴィレッジの試みは、生態系の持続可能性は考え抜かれていても、人から人へ受け継がれる、という持続可能性は手薄だった。有名なレインボーバレーファームも、写真を見て人々の話を聞くだけで夢の国みたいな場所だとわかるほどだったけれど、そのまま引き継ぐ人はいなくて、買い取られてたぶんなくなってしまった(ご存じの方がいたら教えてください)。人から人へと受け継いでいくにあたって、一族の土地として創造することの意義深さがよくわかるようになったのでした。こういうことをどんどん語り合うことで、自分たちがやろうとしていることがなんなのか、わかってくるのがありがたいです。またシェア会やりますからね。(写真はドミトリさん達が植えた一族の木で、カシワとかコナラみたいな植物でした。)

母に真実から関わってみる挑戦

東京の実家に来ています。父が他界してからは、母が一人で暮らしているのでいつも喜んでくれるんだけれど、それはそれとして僕は札幌に越して実家と行き来するようになってからこの1年ちょっと、母との関係性に自分なりにかなり取り組んでるのでした。もともとなにかすごい悪い関係ではないんですよ。でも以前も書いたけれど、母とは真実のことばを交わし合うということが、これまでほとんどなかった。限りなくゼロに近い。今日も機会を見つけてはそういうことをしていたわけなのです。***今日母は話が終わりかけてたときのタイミングで、「ほんとうのことを言うのも聞くのも、恥ずかしくてとてもじゃないけどできない。でもあなた(僕のこと)は言ってくれるよね。『おかあさんはすごくよくやってるよね』とか」と言いました。僕:「僕はこの20年、そのことには意識的にとても努力してきたんだよ。死ぬ直前になって本当に思っていることをやっと話す人生よりも・・・」母:「普段からほんとうのことを伝えあう人生の方がいいってことね。それはそうかもね。いえないけど。」僕:「僕はそれに挑戦してる。」母:「じゃああなたの学びのために、私は存分に抵抗するから挑戦して(笑)」そこから父の話になったのね。僕:「父さんとは、死ぬ2日前くらいにそういうやりとりができた。その翌日には父さんは忘れてたけど。人生を振り返って『いい人生だった』っていっていたのを聞けてほんとうによかった。」母:「母さんにはそういうこといわなかったのにね。」僕:「だって母さんもいっていなかったじゃない。僕はあのころ母さんにいったでしょ。『父さんと生きてきてどれほど幸せだったか、どれほど愛していたか、ことばで伝えた方がいいんじゃない?」って(ちょっと反応的 未熟者です 笑)」母:「やっぱり恥ずかしくてとてもいえないよ。でもお父さんが『いい人生だった』っていってたなら、よかった(涙)。わたしなんかと生きてきてよかったのかなって思うことがあるのよ(涙)。」「そしてそれはあなたに対してもそう。千草ちゃん(弟の奥さん)の子どもへの関わりとか見ていると、私はあんなふうにはできていなかったな、すごいなあって思うし、あなたにもっといい母親がいたら、もっとよかったんじゃないかって思うよ。」僕:「半分青いを一緒に見ていたときに言った・・・」母:「あなたの息子でほんとうによかったってやつね、ほんとうにそう思ってもらえてるとは思えないのよ。自信がない。」僕:「(涙)僕はほんとうに思っているよ。僕がこの家に生まれて、それで経験できたことが僕をとても鍛えてくれているし、父さんと母さんが全然違うものを持っていて、それをそれぞれ受け継いでいて、それはほんとうによかったと思ってる(涙)。」母:「う〜ん、どうかなあ・・・」僕:「いやいや、僕がどう感じるかなんだから、僕の話聞いてよ(ここもちょっと反応的 笑)」母:「そうだね。それならいいけど。」僕:「うん。ほんとに思っているよ。」・・・というようなやりとりをしました。今日はふたりとも、かなりこころを開いてやりとりできたなあと感じていて、とてもあたたかで満たされた気持ちになれました。母とやりとりした中では、かつてないくらいに。よかった。まあでも、僕もまだまだです。挑戦は続く。

祖国コミュニティづくりをはじめよう!

祖国コミュニティは、今すぐ創り始めていい。ロシアから帰ってきてからも、けいこちゃんと毎日、祖国コミュニティの思い出について、そして僕らが作る祖国コミュニティについて語り合って、そう思ったのでした。二人きりで1haの土地を探すところから始めるんじゃない。新しい時代の到来を感じている人、祖国を創りたい人たちでわいわいと、どんな祖国を創造したいのか、どんな祖国コミュニティを創造したいのか、そこでどんな光景を見たいのか、そこにどんな仲間が集っていて欲しいのか、どんどん語り合うところから始めるんだなと。話している中で、「お〜、それいいね!」「あ〜、そこは僕らちょっと違うこだわりがあるね」って語りながら、自分自身の真の願いを掘り起こしていく。どういうところには徹底的にこだわりたいのか、どういうところは厳格にしたくないのか、なんてこともわかってくるはず。 *** 例えば僕らは、食習慣については厳格にこだわったりしないけれど、コミュニケーションのスタイルについては、共通の理解があることを徹底的にこだわりたかったりするわけ。たましいの声と、トラウマ・防衛の声を区別する文化、防衛的な関わりを自制することにベストを尽くす文化、たましいの声をお互いに無視しないことにベストを尽くす文化。そこにはしっかりこだわりたいんだよね。 *** 祖国づくりに関する、それぞれのたましいの願いをはっきりさせていく中で、もしかしたら「よしそれだったら一緒に一つのコミュニティをつくろう」っていう仲間ができるかもしれないし、そうならなかったとしても別のコミュニティをつくるだけで、祖国コミュニティを創造し広める大切な仲間になる。こういうことを始めていきたい。そんなことを語り合いながら、植木鉢で「一族の木」の苗も育て始めちゃう。土地が見つかった時には、すぐにでも祖国コミュニティが現れる、そのための準備を今から始めよう。どこからどうしていいのか、いまいちわかんないけど、早々に動き出す予定なのでその気がある人は待っててくださいね。 

新しい時の到来を告げよ! 〜ドルメン群の叡智〜

ロシアでの最後の日は、何年も続いているアナスタシア読者の祭典に参加して来ました。10日くらい続くものの、最後の日だったかな。ポジティブクリエイション祭りと呼ばれていました。その会場の敷地にも3つ並んで大規模なドルメンがあります。(元々は4つ並んでいて、ひとつはなんと、サンクトペテルスブルクの博物館に移築されたそう)調和のドルメン、問いに答えてくれるドルメン、未来を見通すドルメンが並んでいました。(持っていかれたものは、愛のドルメンと呼ばれていました。)どれがどんなドルメンであるかは、あるおばあさんが長年にわたってドルメンと交信し続けてわかってきたことと、チャネラーやサイキックなリーディングができる人たちの交信とで明らかにされて来たそうです。そのおばあさんも祭典に参加されていました。***僕は、問いに答えてくれるドルメンに「智慧の方よ、教えてください。これから二人で祖国を創っていくにあたって、はじめにやったらいいことはなんでしょう」と尋ねました。僕の後ろの方では、コーン、コーンと、木が打ち鳴らされる音が聞こえていました。それが、時を告げているように僕には感じられました。「(ん、これは、新しい時の到来を告げろという意味かな)」となんとなく直感したんですよね。でもちょっと自信がなかった。そこで辺りが静かになったところで、「新しい時代の到来を人々に告げて回れ、ということでしょうか」と改めて問いかけてみたところ、間髪入れずに後ろの方で、コーン!、と一発、また音が聞こえました。こうして僕は、これは明らかなサインだと受け止めたのでした。***「新しい時の到来を告げよ!」なぜか僕はこのメッセージにこころがうち震えます。そう。新しい時代がやって来た。人々が、すべての命を愛でて、この星を愛で満たすという本来の役割を取り戻す時代。自分のハートとたましいを裏切ってきた人々が、ハートとたましいに従う力を取り戻す時代。深く愛し合うことを忘れていた人々が、深く愛し合うことを思い出す時代。長きに渡る破壊と不調和の時代が終わり、人々と地球が調和的な関係に還る時代。地球の夜明けのような時代がついにやって来た。それはもう始まっている。***ロシアの祖国コミュニティと、そこで暮らす人を見て、この日の祭典に集う人々を見て、そして日本にいる僕の仲間たちを思い浮かべて、新しい時代がやっとやって来たことを感じます。そう感じる人たちが自分の周りの人たちに、新しい時の到来を告げていくことで、あちこちに光が灯っていく未来が僕には見えるのでした。***この日は他のドルメンとのコンタクトをはじめ、いろいろなことがあったけれど、ひとまず今日はここまで。

アナスタシアのご先祖様のドルメン

アナスタシアの女性ご先祖様が眠るドルメンは、光り輝く美しい森の奥にありました。最近まで忘れ去られていて、約20年前にもしかしたら数千年ぶりにウラジーミル・メグレさんに発見されたもの。このドルメンの主は、アナスタシアによると、女性が授乳を通して赤ちゃんに宇宙の英知を伝える方法を熟知していた人で、その智慧を後世の人に伝えるために、輪廻転生を二度としない決意を持ってこのドルメンにとどまることにしたそうです。そんな事情もあって、とりわけ女性にとって重要な聖地。けいこちゃんは実は当初、「山登りとかやだ〜」「私だけ麓で休んでいていいかな」とか言っていたのですが、結果的には誰よりも深く、ここに宿るスピリットと交流していました。彼女がその、深い交流をじっくり時間をかけてしている間、僕は静かに待っていました。女性が授乳についての智慧を授かる場所とは聞いていましたが、男性もスピリットと交流できてもいいよなと思いまして、少し離れた場所で待ちながら問いを立てました。これから「祖国」を二人で共同で創造していくにあたって、気にかけるといいことがあったら教えていただけますか。そうしたら僕の意識は上に引っ張られ、実際に上を見上げると、紅葉しかかった楢木の緑と黄色が、真っ青な空と鮮やかなコントラストをなしていました。「二人の違いが作り出すコントラストこそが美しいのです。違い続けることを恐れず、コントラストが作り出す美しさを楽しみなさい」これが、僕がアナスタシアのご先祖様から受け取ったメッセージ。パートナーシップについて、険しい修行(笑)をしてきた甲斐があったというものです。僕ら自身もそうですが、多くのカップル・夫婦が、コントラストをあざやかにしながら共同で創造していくのをたくさん目にしたいし手伝いたいなと思っています。その道をご一緒したい方、是非ともに参りましょう。

ロシアの旅から帰ってきました

ロシア、祖国コミュニティとドルメンを訪れる旅から帰ってきました。実際に祖国コミュニティを訪れてあれこれ具体的に聞くこともできたし、アナスタシアのご先祖様のものを含めいくつものドルメンからけっこうはっきりしたメッセージをいただいたしで、たくさんのインスピレーションが沸いています。たとえば、「祖国」は一世帯ではできないのか、コミュニティでしかできないのか、という質問に対する、ドミトリさんの答えは印象的でした。「実は自分も初めは一世帯で祖国づくりを始めてみたことがある。でも、程なくしてこれでは無理だと感じるようになった。すぐ近くに同じ思いを持っている仲間がいることの重要性は始めてみたらすぐにわかった。」というものです。そんなわけで各祖国コミュニティに入る時には、なんていうんだろ、審査のようなものがあります。共通の理念に向かう仲間が集うこと、「ここを大切にしたい」という点について、共有できる仲間とともに進むことがほんとうに大切なんだなと。そしてその理念はコミュニティごとに少しずつ違っていて、それがいいなと思うのでした。これからも少しずつ、ロシアの旅のことをシェアしていきますね。ちなみに東京では第一回のシェア会が10月17日 14時から17時、場所は 東京田町で開催予定です。ご興味ある方は是非予定を空けておいてくださいね。https://www.facebook.com/events/158847408391343/

「合わない」人を愛していたら

自分を抑えることなく、相手を変えようともせずに一緒に生きられるのは、「合う」人だけだと思いそうになるけれど、それは違います。その人と「合う・合わない」ということと、その人と「共に生きたい・生きたくない」「離れたい・離れたくない」ということは、別のレイヤーにあること。パートナーでも友人でも家族でも。パートナーはとりわけ。利害が合わなかったり、価値観が合わなかったり、好みが合わなかったり、一緒にいることがいちいち不便だったとしても、ただその人が好きということはある。その人に対して愛がある、ということはある。自分を抑えることなく、相手を変えようともせずに一緒に生きられるのは、「合う」人だけだと思いそうになるけれど、それは違います。「合わない(けれど好きな)人」とも一緒にいられる道はあるんです。ほとんど知られていないけど。「合わない」人と一緒に生きようと思ったら、偶然に頼るか、ヴィジョンと方法が必要になります。愛とか思いやりとか尊敬とかで一緒に生きられるなら、それは偶然でラッキーな組み合わせ。そのラッキーを大いに喜んだらいいと思うんです。でも、もうちょっと確実に愛する人と一緒にいようと思ったら、ヴィジョンと方法が必要。それはルールで縛るということではなくてね。たとえば「僕たち合わないことも多いけれど、共に生きていたいね。そういう関係を目指すことは諦めたくないね。」っていうヴィジョンが共有されるのはかなり有効だし、それがパートナーシップだったらキューピッドの矢が刺さっている間に共有できるに越したことはないです。(もちろんキューピッドの矢の毒が冷めたあとでも話し合ってやれます)そして方法。それは決して、昔ながらの「お互い我慢し合いましょう」じゃない。そんなのおもしろくないし、幸せじゃない。ここをみつけるのがたいへんだったなあ。中身はまた今度。でもなんといってもまずは、「僕たち合わないことも多いけれど、共に生きていたいね。」ってお互いが思うかどうか、そのことばを聞き合えるかどうかだな〜。そこに豊かさをみつけられるかどうか。ちなみに昔の僕は全然見えてなかったけど〜。