Keiko Matsumoto

物心ついた頃から、「理想の結婚」を叶えることを夢見てきて、イメージした通りに26歳で理想通りの相手と結婚。

ところが数年後、何かが足りないと感じるようになり、コーチングやスピリチュアルな学びなどを通し自己成長の旅を始めます。

その中で、夫からはとても愛され生活面ではうまく行っていたにもかかわらず、真実を分かち合い、愛を深め合うことがこれ以上できないことを悟り、大きな痛みを伴いながらの離婚を経験。

現在は新しいパートナーと、自分の真実を分かち合いながら、愛を深め合うパートナーシップを築くために日々取り

記事一覧(23)

親から真実の言葉を聞けなかった子ども

先日福岡まで行って、ワークに参加していました。そのワークの中で、親とか自分に影響あった人物にされて嫌だったことを思い出し、イメージの中でそれを伝え、そして、本当はどうしてほしかったのかもイメージの中で聞いてもらうっていうパートがあります。僕は、親にされて嫌だったことは、ワークの時にはけっこう表面的なものしか思いつかなかったのと、イメージの中の親が普段通りなんかごまかしたようなことしか言わなかったのとで深まらず、帰ってきてから復習ワークを(?)毎日やっていました。パートナーにも話を聞いてもらったりしつつ取り組んでいたら、ああ、とわかったことがありました。*** 本当はどうしてほしかったのかというと、 僕は、真実の言葉を聞きたかった。 僕は、母がその存在の中心からほんとうのことを語っているのを、ほとんど聞いたことがありません。もしかしたら一回も聞いたことはないかもしれない。僕の親世代の人々は、本当の思いをことばにするのは野暮だと思っているような文化があったり、個人的な照れや防衛もあったりするのだとおもいます。でもとにかく僕は「真実の言葉を聞きたかった」し、聞けなかった。今の僕は、仕事でも日々たくさんの真実の言葉に出会っているし、パートナーとの間でも互いの真実の言葉を交わし合うということをずっとやっていて、それがどれほど素晴らしいものかをよく知っています。どれほどパワフルに、自分と相手の命を輝かせるか、どれほどその命を土台から救うか。同時にそれがないことが、どれほど破壊的であるかということも、今ではよくわかっています。僕とパートナーとの関係は、互いの真実をことばで明かし合い続けることによって、ずっと愛を深められている。真実を告げず、真実を尋ねず、想像してわかった気になることこそが、愛ある関係性を蝕んでしまう。それは親子や家族であってもそう。福岡のイメージワークの時にも、母が真実から真摯に受け答えするところを、とても想像できなかったというわけなのです。***僕は小さい頃から一度も母の真実の言葉を聞くチャンスがなかったことで、そこにある真実や、そこにある愛を、はっきりと意識で捕まえる力が育ちませんでした。ずっとどこに真実があるのか、愛があるのか、よくわからないまま生きてきました。今から思えば。そして真実の言葉を自力でみつけるために、大人になって約8年魂の闇夜をさまよう必要がありました。***真実の言葉を聞けなかったことが、とても辛かった。ほんとうは真実の言葉を聞きたかった。自宅でイメージの中でまっすぐに母にそのことを告げた時、イメージの中の母はやはり何も言わず、でも初めて「ことばにならない」という真実の表情を見せてくれました。そして、母が一度も真実を語る勇気を持てなくなってしまうほどに、深く傷つき、恐れを抱いていることが見えました。何があってそうなったのかはわかりませんが、ほんとうのことなんて、とても言えない。***数年前、父が亡くなる直前に、僕は母に「父さんが意識があるうちに、言葉でしっかり伝えた方がいいんじゃない?父さんと生きてきてどれほど幸せだったか。どれほど愛していたか。」と言ったことがあります。その時にも母は泣きながら、「とても言えない。」と言っていました。そんなにも大切な真実を一切言葉で語れないというのは、どれほど深く傷ついているのかと、はじめてそれがはっきり見えた瞬間でした。***それほどだったのならしょうがない。それはもう、許しますとかいうまでもなく、しょうがないなと深く受け入れられました。そして僕自身に「おまえはどうなんだ?」って問いが向きました。僕は、母に、どれほど真実から関わっているといえるのか。いや〜、全然だ。残念ながら母の前では、僕はまだまだ防衛的になったり、表面的な会話をしたりすることがほとんどです。それを長年、母のせいにしてきてしまいました。母に、真実の言葉を交わすことの恐ろしさを克服するように手伝い、その素晴らしさを伝えることができるのは、僕しかいない。僕が真実から関わることによって。え〜、いやだなあ。東京に戻ったら、いやいやながら(笑)、母に真実から関われるよう努めてみようと思います。いや〜、険し楽しい修行だなあ。

夏場の冷えに心理的に取り組む2

夏場の冷房で体が冷えることの、心理的な意味の取り組みについて。つづき。セラピストさんからの「対人関係で熱くなって魅力的になったら何かまずいことがありそうですか」という投げかけで、なるほどと僕は思ったのでした。それは思い当たる。対人関係ではだいたい冷静でいようとしているし、熱いのは得意じゃない。しかも、熱くなって「魅力的になる」ときたか〜。僕は好きな人には大体好かれるし、適度な距離があるのが好きなので、「もっと魅力的になりたい」とか思ったことはないです。そして確かに、もっと魅力的になったらめんどくさいことになる、ってどこかで思ってるフシがあります。以前の僕だと、僕の側にはその気がない誰かが、僕に恋愛感情を持ったりして接近して来たら、うまく対応できずに神経すり減らしてしまっていました。(もっとうんと若い頃は、ちょっとうれしかったけど)あの神経使う感じはやだな〜、体験したくないな〜、といまだに怖がってるところがありますね。***そしてもう一つは、僕の側にはその気がない誰かが、僕に恋愛感情を持ったりして接近して来たら、感情的になったパートナーから理不尽に関わられる、っていうことを怖がってもいます。幸か不幸か、今のパートナーは最近までそこの傷が大きくて感情的になりやすかったし、僕は僕で最近まで、感情的になった身近な人といるのが乳児期トラウマの影響で拷問のように感じられる状態でした。で、僕も防衛的になって、それがますます彼女を感情的にさせて、お互いの傷が噛み合って二人してすごく痛い経験をしてしまう、という状態にあった。なので、あの拷問を味わうくらいだったら、誰かがうっかり恋愛感情持ってしまうような魅力は一切、外に出さないようにしよう、みたいに僕は思っていました。対人関係で熱くなることが、魅力的になることでもあるのなら、大いに「冷やしておかなくては」と思っているのでした。それが体を冷やしているのか・・・。つづく

夏場の冷えに心理的に取り組む1

僕は夏になると、電車などの冷房で体が冷えるんですよ。電車で移動するときなんかは、絶対に長袖じゃ無いと体調崩します。か弱い。 最近このことの心理的な意味について取り組んでいて、セラピストさんから丁寧に聞いてもらって、いろいろわかって来ました。なんというか基本に戻ってみてみると、意外とおもしろいのでした。どういう時に冷えるかと言えば、電車で移動している時とか、何かのセミナーとかで話を聞いている時とか、なんていうのかな、自分からは何もしていない時。逆に自分がセミナーやワークショップやってる時は、たぶん全然冷えない。これってまず、僕がどういう時に「熱くなれない」「熱くなれる」ということと直結してる。いや〜、単純すぎて恐ろしい(笑)。まあでもこれだけの情報だったら、よくなりそうな気がしない。当面は僕は何もしない時や受け身の時に熱くなれる気がしないもんね。***そこで、もうちょっと根本を見ていくと、自分の体を冷やしておこうとしているってことは、「熱くなったらなにか不都合がある」って思い込みがありそうなわけです。そういう仮説が立つ。でね、その時にセラピストさんから「熱くなって魅力的になったら何かまずいことがありそうですか」みたいな投げかけがありました。「熱くなって魅力的になったら」ほほう。おもしろい。対人関係で熱くなること、そして魅力的になること。確かにそれ止めてますね〜〜。うん。ここは彼女との関係でよく困難が生じる箇所でした。つづく

「すべてのはじまりは意識である」

「祖国」で自分たちの子供を迎えたい。親しい友達に囲まれ助けられ、外の鳥の声しか聞こえないような静けさの中で。それが僕が欲しい未来。***アナスタシアが、二人の最大の創造としての子どもについて語る場面がすごく素敵なんですよ。親の意識によって子どもは創造される。そう聞くと、ドキッとするんですよ。しません?「自分の子供を意識の中でどのように思い描き、どのような子になるよう計画したか。我が子の人生に何を思い描き予告したのか。自分の創造物のためにどんな世界を創ったのか。」ええええ?そんなこと創造するのか。と読みながら思った。著者のウラジーミルも「そんなこと普通考えない」と反論する。彼女は「肉体の快楽の中で大部分の人たちは受胎してしまっている。でも人間は神の資質を持った、神の似姿。快楽の結果としてこの世に誕生すべきではない。」という。子どもを意識の中で創造するというのは、その子の魂が世界をどんなものとして体験するのかを創造するということ。「彼と彼女は互いへの愛の中で、そして未来の自分たちの美しい創造についての意識の中で、生きた家を建てている(注:祖国のこと)。二人は自分たちの息子や娘がそこでどれほど幸せになるかを想像している。彼らの子どもがどのように最初の音を耳にするかを。その音は母親の息づかいと鳥たちのさえずり、神の創造物たちの歌声。それから想像する、大人になった彼らの子どもが疲れきった身体を休めに両親の庭に帰り、杉の木陰に座る様子を。彼への愛の中で、そして彼への想いをもって親の手により祖国に植えられた木陰で。未来の両親が一族の木を植えることが、第一の点を定める。その点が未来の創造のために惑星たちの助けを呼ぶ。この点は必要!この点はとても重要!そして何よりもこの点は、神にしかないもの!この点は、あなたが神の、偉大な創造主の資質を持った、創造主の似姿を創造するという裏付け!そして神は自分の息子と娘の意識を歓ぶ。「すべてのはじまりは意識である』。ウラジーミル、どうか信じて。宇宙のすべてのエネルギーの流れは、二人の意識が愛の中でひとつに溶け合い、二人が美しい創造について思い描く、その一点に現れる。」こういう世界に、愛する子どもを迎えたい。

与えられた分だけで十分幸せに生きていけます、の病理?

僕は「願う」「望む」「欲しがる」といった創造の第一歩を、どんだけサボってきたのか、ってことを前回書いたんですが、これ、うっかりサボってたのかと思いきや違った。明らかに乳児期のトラウマの影響でした。教科書的な例だ。しまった。0歳の頃に、自分は求めても与えられない、というのを大きな痛みとともに神経細胞レベルで強烈に学習してしまった人は、「自分は最小限で間に合わせることにおいては自信があります」「与えられた分だけで十分幸せに生きていけます」みたいになっていくパターンがあります。「ですので、みなさんのご都合(ニーズ、願い)を優先していただいて結構です。」って。そして自分からは、何も欲さなくなっていく。あまりに得られない痛みが強かったため、欲しがることこそが危険だと思っちゃって、自分は何が欲しいのかに気づかないようなシステムが作られていく。 つまり、創造の第一歩を発動する力がおおきく損なわれてる。 なんてこった。なんてお気の毒な僕の赤ちゃん時代(笑)。そんなわけで、すご〜く安心させてあげないことには、僕の中の「欲しがる」部分は心を開かないので、ここ癒しつつ、なんども「何が欲しいの?それは絶対得ようね。」って自分に話しかけてるところ。ちゃんと聞いたら少しずつでてくる。しょうもないもの欲しがってても、それもちゃんと聞き届けていくところから。いや〜、手がかかるワタクシ。これ読んで感じるものがあったそこのあなた。あなたも願っていいし、欲しがっていい。そしてあなたはそれを与えられるべき、大切な存在なのです。

仙人の森へ。

昨日は札幌から車で1時間ちょっとかけて白老まで出向きました。先日建築家さんから教えていただいた、そのお父さまの作っている「仙人の森」へ。白老ってこんなに美しいところだったのですね〜〜。青空のもと、ちょうど新芽の芽吹く山々に山桜が残っていてもう、それだけで大興奮です。自家製ハスカップジュースでもてなしていただいて、鳥たちやハルゼミの声に癒され、高台からの景色に興奮しました。けいこちゃんが言っていてなるほどと思ったのですが、自然の美しさだけでなく、細部まで人の意識が行き届いている、その美しさが印象的でした。鹿よけの電柵のある人の居住区(?)は1haくらいで、でも山も持っていらして全部で4ha。定年退職してから作り始めて今、20年。現在80を超えるオーナーのおじいさまが、ご自分の試行錯誤を静かに楽しそうに語っていらして、そのかっこいいこと。そしてお肌ツヤツヤの奥様のかわいらしいこと。2、3枚写真も載せようと思ったら選びきれず大量になってしまった。現代文明の街からはずいぶん遠い感じのあるこの場所でも、けいこちゃんもいたく気に入ってくれて、ますます僕らのイメージがうまく重なってきた感じもしています。いや〜、ほんと美しいところだった。

祖国の共同創造プロジェクトはじまります!

一族の土地を創造し、そこに生きたい人、それを創るパートナーとずっと愛ある関係を築きたい人、そのことを通して美しい地球を後の世代に残したい人、そういう人集まれ〜〜っていうプロジェクトがスタートします。結局僕らがやりたいことといえば、一族の土地「祖国」で最高に満ち足りた時間を生きて、そんな祖国をつくる人たちが増えることで、現在の地球の危機が大逆転されていくのを見たいってことだけだな、と思います。祖国って何かは、この投稿の後半にメモをつけますね。「僕ら」っていうのは僕と けいこちゃんだけでなく、思いを同じくする同志の後藤 志果ちゃんにも加わってもらってプロジェクトチームが立ち上がったから。手始めにオンライン・オフライン含めて祖国ミーティング的なイベントをやっていくことになりました。僕らもまだまだ勉強する必要があって、いろんな専門家で共感してくれる人、できることならアナスタシアの読者でもあるような人を招いてトークイベントをやったり、このムーブメントに参加したい人たちが、思いに繋がり思いを語れる場が作られたりする予定。そうして集まってエネルギーが高まって行動する人が増えてきちゃうのだ。その感じがありありとイメージできる。誰もが自分の願いに気づき、繋がり、人とつながり、大地とつながっていく。その願いを諦めなくていいんだ、と希望を支え合う暖かなコミュニティができていく。そこで縁を繋いだ「先に創り始める人」を手伝うことで、やがて自分が創造するときのための経験値もつめちゃう。僕らのメンバーに共通する「祖国」のイメージで特徴的なのは(強調したいのは)、物質的な循環だけを強調せず、そこにアナスタシアのいう「愛の次元空間」が作られることを大切にするということ、そして文明を否定した田舎暮らしというスタイルではなく、文明の経験を大切にした先の世界を作りたいということ。 その中で僕らの目指すところ、活動の理念はこんな感じ。私たちは誰もが、地球のシステムとの調和の中に生き、人との調和の中に生きる地球社会を創造します。具体的には、自分たちの原初の楽園・地球のシステムと調和したホーム「祖国」を共同で創造したいと望む全てのパートナーに、あらゆるサポートを行なっていきます。イベント詳細決まったらまたお知らせするので、じゃんじゃんおいでください。**** アナスタシアのいう一族の土地「祖国」について ****(祖国のロシア語はRodinaで、英語にするとmotherland, native landというような意味。語源分解的には、Rod i na (Father and Mother)といわれ、大地という意味以上に家族の含意がメインになるらしい。) *はじめに概要・子々孫々、暮らして行くのに心地いいと思われる土地を1ha持つ。(参考までに、新宿御苑で祖国60個分くらい)・そこに一組の男女が共同で一つの生き物のようなエコシステムを創造する。 *いのちが繋がりいのちの循環する場所・周りに木や植物を植えて生きた塀をつくり、土地の半分ほどを森にする(必要な木を植える)・植物を植えるにあたっては、種子に自分の情報を十分伝え、 その後も折に触れて補足情報を与えていく・そうしてできた穀物や野菜や果樹によって食物を自給する これらはその一家のためにカスタマイズされた比類ない薬草となる・動物たちも人の愛によって本来の特性をもって人に仕えている ・建材も後の世代は祖国で自給する (最初の世代は小さな家を建てる) *愛の次元空間と人の一生・そこで妊娠、出産、育児が行われる・子供を持つにあたっては、親が3つの点を重ねて提供する 1.一族の木を植え、その子がどんな過ごし方をするか創造する   生まれてくる子供を意図を持って創造する 2.愛を持って創造された祖国の空間で妊婦の期間を過ごす 3.祖国で父親の立会いのもと、子供を迎える(出産) こうすることによって、宇宙の全てが助け始め、 生まれた時には3人に神が冠を授ける ・こうした愛の次元空間を創造する それは、一年を通して人の目を楽しませるアートでもある ・全ての生き物に役割を与え、そのことによって調和が作り出される・そこに住む人の心臓のリズムと、祖国のリズムがシンクロしている・死んだものはそこに埋葬される 故人の思いがそこかしこに創造されているため墓標はいらない *一族の書・これらを創造するにあたっては、実際に土地を得たりする前に 「一族の書」として、その意図を書き始める 子供達に伝えたい叡智を、自分の内側にみつけて書くことができる・そこに描かれているものが実際に祖国に見つかることで、 後の世代の人たちは先祖の思いと繋がることができる *行政との連携・1haの土地は、国が無償提供する(2017年よりロシアで開始)・祖国の中で作られたもの(木製品やジャムなどの食品など)には課税されず、 自由に販売することができるようにしていく・現在ロシアでは大小さまざまで20〜300世帯からなるコミュニティが300を超え、数万人が「祖国」で生活している***** 祖国については4巻「共同の創造」に登場。植物との交信方法など詳細は1巻、5巻はじめ各所に断片的に描かれている。「一族の書」は第6巻に登場。写真:祖国のイメージを描いてもらったもの描いてもらったもの。

後々の世代にどんな人生を用意したいのか。

一族の土地「祖国」とは、後々の世代にどんな人生を用意したいのか、という具体的な意思表明でもあります。今日は仲間と祖国のプロジェクトについてミーティングをしてまして、いや〜、刺激的でした。アナスタシアが6巻で話すところによると、たとえ1haの土地を得ていなかったとしても、その願いを本に書き始めたらいい。子供たちにどんな世界を残したいのか。どんな鳥のさえずりが聞こえて、どんな花の香りがする人生を与えたいのか。どんな食べ物を味わわせ、どんな木陰で憩って欲しいのか。それを内なる叡智に尋ねて書き記す時、そこには真実が顕れる。僕らみたいなはじめの世代は、もしかしたらほとんど何もできないかもしれない。それでもいいんだ、って書いてあるところにすごく希望を感じるんですよね。そういう人が書く一族の書について語られている箇所がまたたまらない。「『私は貧しく、老年になってはじめて人生の意味について、子どもたちに与えたものについて考えるようになった。そして、我われ一族の空間の設計図をつくった。それはおまえたちのためのものだ。我が子たちよ、私は本に詳しく書き残した。私自身が成し得たことは、果樹園に果樹を九本植え、林ができるはずの場所に木を一本だけ植えたことだ。』 年月が過ぎ、孫がその本を読み、おじいさんを思い出す。そしてたくさんの木々が生えている一族の土地の中で、力強く生える荘厳な杉や樫の木の下へ歩み寄る。 愛と感謝にあふれる息子の意識が空間へと飛び立ち、おじいさんの意識と合わさる。すると新しい存在の次元空間が、二人のために生まれる。永遠の生は人間に十分に与えられている。地球と宇宙の惑星の開拓とは、すなわち、一人ひとりが自分自身を変容させることなの。 一族の書が、子孫たちに善い知らせを伝えるのを助け、書き始めた人の魂が地球で再び人間に具現化するのを助ける。」自分の中の愛につながり、その愛を込めたなら、たとえ実際には木を一本植えただけでも、そこには真実の愛が宿ることが僕にはわかる。いや〜、ふるえる。